渡辺直美はなぜビヨンセでブレイクしたのか?いいとも少女隊とは?

インスタグラムではフォロワー数が800万人を超える渡辺直美さん

台湾人のお母さんと日本人のお父さんの日台ハーフだと知っている方も多いと思います。

その渡辺直美さんがなぜビヨンセでのブレイク出来たのか、そのキッカケや、また笑っていいともに「いいとも青年隊」ではなく「いいとも少女隊」として出演していた当時の事。

またいいとも少女隊時代についてもご紹介したいと思います。

なぜビヨンセでブレイクできたのか

今や渡辺直美さんのビヨンセのモノマネは日本だけでなく、台湾、アメリカと世界で評価を受けています。

もはやモノマネの域を超えて、別のモノになってしまっている感もありますが、それは置いておいて

実はこのビヨンセにモノマネは、渡辺直美さんが日本語があまり上手くしゃべれない事から生まれました。

本人も18歳ごろまでは日本語が上手く話せずカタコトだったと告白しています。

NSCの研修生だった頃、当時はコンビを組んでいましたが上手くいかず解散、その後にピンとなり試行錯誤している中、ネタ見せの時にアドバイスをもらい、ジェスチャーや動きで人を笑わせる事に方向を変えて、このモノマネにたどり着いたようです。

そしてビヨンセのモノマネを続けていた時に、たまたまライブに来ていた吉本興業の先輩でもある今田耕司さんに見初められたのがテレビでのデビューのきっかけになりました。

その渡辺に目を付けたのが、たまたまライブに来ていた今田耕司だった。「『あの子オモロイやんけ』ってなって、『さんまのまんま』が決まって。初めてテレビに出られて、そこから今に至ります」とデビューまでの経緯を語り、「そのマネージャーさんがいなかったら、デビューしていない」と感謝の気持ちを口にした。

引用:AbemaTIMES 渡辺直美が明かすデビューのきっかけ「たまたま今田耕司さんが来ていて…」

もしあの時、今田耕司さんに見つけられていなかったら、今の渡辺直美さんはいなかったかもしれませんね。

笑っていいともで相方の鈴木凛と少女隊を結成

その後2008年には「笑っていいとも!!」に「いいとも少女隊」として2008年から2010年まで約2年間、オープニングテーマ曲に乗ってキレキレのダンスを披露していました。

その時に少女隊の相方として組んでいたのは「鈴木凛(すずきりん)」さんです。

その鈴木凛さんの現在は「MILANOLOA(ミラノロア)」としてアーティスト活動をしているようです。

 

また当時を渡辺直美さんが振り返っている記事があったので紹介します。

相方のリン(鈴木凛)とは当時から仲が良かったが、スタッフの扱いに差があったのは不満だったようだ。「美女って得するんだな」と実感したという。

引用:exiciteニュース 渡辺直美が“いいとも少女隊”時代の不満ぶちまける。「リンと扱いが全然違った」

鈴木凛さんも既に30代ですが、いいとも少女隊時代の可愛らしさも残しつつ、大人の女性に成長していますね。

渡辺直美さんはその後に2011年には、お笑いの実力が認められ笑っていいとものレギュラー出演することになります。

体もスケールアップして再び出演しています。

いいとも少女隊の頃の体重は70㎏台だったのが、レギュラーとして返ってきた時には100㎏間近まで増えていたので、タモリさんもビックリしていました。

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どうも!
まだブログの書き方がよくわかってない、なおちゃんです。
(以下省略)

引用:渡辺直美の潮水 2008年6月11日「ただいま」より

この渡辺直美さんの公式ブログにある写真のアーカイブでは2008年が一番古いモノになります。

今と比べるとだいぶホッソリしたイメージでしょうか?

またこの時からチョコプラとも仲が良かったんですね。

海外での芸能活動を拡大

2019年以降は海外での活動を広げていく事を発表しています。

既に台湾を始め、世界でライブを行い成功させている渡辺直美さんに取っては、日本だろうが世界だろうが、芸能活動のフィールドは変わらないと思っているのかもしれません。

もっともっと世界中で有名になってもらいたいですね。

これからも渡辺直美さんから目が離せませんね!